ふんわり、ぼかす


この写真は10月初めに東京に行った時撮った六本木ヒルズから見えた東京タワー。
どんより空ですごく寒かった東京。鼻がツーンとする感じの寒さで、久しぶりに冬の感覚を思い出しました。

曇ってる東京は初めてで、もちろんこんな東京タワーを見るのも初めてでした。厚い霧に覆われてる東京は結構ステキで曇りもいいもんだなと。街がふんわりぼやけてて輪郭線が決められないボワーンとした感じがありました。

最近、書道の半紙に水彩えのぐで絵を描いています。やっぱり半紙だと思ってた以上にえのぐを吸い込んで、ほんわりした色の絵になります。曇ってる東京の街もにじんだ絵に似ています。

このまま晴れることはなかったけれど、霧が晴れていく一瞬一瞬はきっと綺麗だろうなと思いました。


おまけ・・・



ジャーン!

ゴロ


私の好きな言葉に『すいきんちかもく、どってんかいめい。』がある。
それは『一期一会』!とか『努力』!って言葉が好きですっていうのとは別な気がする。すいきんちかもく・・・好きなのは単なる言葉の響きがステキだからかもしれない。『水金地火木土天海冥』この何かおちゃらけた響きですべての惑星を言っちゃえる申し訳なさもある。

すいきんちかもく、どってんかいめい♪

なんて軽い言葉なんだろう。でもその言葉の意味を考えてしまうとあまりに広すぎて手に負えない。。
ゴロで歴史を覚えたり、化学の公式を覚えたり、数学のイロイロを暗記したけれど、ゴロにもちゃんと理解出来る意味があった。“ひとなみにおごれや”とか“水兵リーベ僕の船”とか。すいきん・・・には、ない。何なんだろうこのコトバ。

コレッテ、ゴロジャナイカモ・・・

ってことで調べてみました。

【語呂】・・・言葉の言い回し。続き具合。特に、発音した時の音の続き具合。調子。語調。

確かに、調子はいい!

【語呂あわせ】・・・言語遊戯の一。ことわざや俗語などに類似の音を当てて意味の全く異なる成句に仕立 てたり、言葉続きの音調によって二重に聞きとれるような成句を作るもの。江戸後期に雑俳の一種として流行。「猫に小判」に対する「下戸(げこ)に御飯」「市川団蔵よびにはこねえか(内から、だれぞよびには来ぬか)」の類。地口。口合(くちあい)。

語呂あわせになるとちょっと違うみたいだ。

この『すいきんちかもく、どってんかいめい。』の魅力はこのゴロ自体の意味がどうこうじゃなく、結局“なんとなく響きがドンクサソウでカワイイ”ところかなと落ち着いた。でも規模デカっ!

すいきんちかもく、どってんかいめい。

またぐ

これは箱崎宮の参道である。まっすぐの軸が海の先まで延びている。

問題は私のいる場所である。この写真は高速道路から撮った写真である。私はいつもこの場所を通り過ぎる際、きれいだと思うと同時にいいのかな?という思いをもっている。高速道路は海の上を走っており、参道の軸をぶつっと切ってしまっているように思える。参道と同じレベルではないのだけれど、軸と垂直に交わることにはかわりない。本来人間がいることができない場所にいることが何だかソワソワしてしまう。きっと神の位置だからだろう。

日本に昔からある日本ならではの認識がそう思わせたのだろう。この場を通り過ぎる際は是非一礼したいものである。

car EV


いつも決まって夜の8時以降にしか動かないエレベーターがある。それは、天神の中心にある『イムズ天神』にある。このビルは、セレクトショップ・インテリアショップ・cafe・楽器店・ショールーム・スポーツジム・レストラン等が入っているビルで、幅広い年層の人達が毎日多く訪れている。

同じ場所の昼、そのエレベーターはどこにも見当たらない。エレベーターの現れた場所は人が行き交い、ショーウィンドウを見ながら話をしている人も見ることができる。だんだんと日が暮れ夜8時になると辺りのデパートやファッションビルは閉店する。そしてここイムズも閉店する。天神の人通りが少なくなった頃、このビルの一角がざわつき始める。イムズの外壁の一部が開くと、そこには巨大なエレベーターが現れた。それは車専用のエレベーター。ビルの5階にトヨタのショールームがあるため、エレベーターで搬入をしているのだ。ピカピカに磨かれた新モデルの車が一台ずつ順々にのぼっていく。その光景は車の新モデルのショーのようだ。車がのぼっていく様子はとてもインパクトがある。足を止めて車がのぼっていく光景を眺めている人や、携帯電話のカメラで撮影している人もいる。5階という位置に車のショールームがあるため生まれた光景だ。運ぶために取り付けられたこのエレベーターは、運ぶ様子が珍しいためとても目立つ存在となっている。新モデルの車らは次の日の開店時にショールームに並んでお披露目される予定だが、前日の夜に華々しくお披露目済みだったのだ。

搬入という裏方の作業も、街の事情に合わせることで表に出ざるを得なくなったとき『宣伝』という効果を生み出す結果となった。
 

博多の色


西日本一の歓楽街『中州』。川沿いにネオンがズラリと並ぶ風景は独特だ。中州の川沿いに負けないくらいネオンを発している通りがある。23時頃、国体道路を車で通ると4車線のうち両脇の2車線はタクシーがズラリと並んでいた。この通りを車で通ると、タクシーが中州の通りのファサードをつくり出しているような感じである。歩道を通ると、色々な飲み屋の看板が建物のファサードをつくり出している。人が飲み歩き、甲高い笑い声とお酒のニオイが夜中賑わっている。ここには『華やか』という言葉がよく似合う。

この中州は昼間通ると、派手さはなく抜け殻の様に少し薄汚れたビルばかりが建ち並んでいるだけの通りだ。日が落ちて暗くなると、ビルを覆い尽くすように看板がギラギラと光りだす。夜は建物自体は隠れて、色々な色の看板のみで構成されている。明かりの灯るところに人は集まる。そして明かりの灯る所にタクシーも集まる。これが『博多』の風景ひとつだ。

このタクシーの列は中州を越え天神を越え警固まで続いている。明かりの灯る所の前にはタクシーが必ずいる。街頭いらずのこの通りは、夜中も明るい。危険に思われがちだが、誰もいない暗い夜道よりもかえって安全である。明るい看板とタクシーが都市の安全をつくり出している。

道路交通法改正により路上駐車の取り締まりが強化された今日、タクシーがズラリと並び帯をつくり出している光景は見ることが出来なくなるかもしれない。『博多』の色が変化することは間違いない。

リトル都市

団地群。コンテナ群。ここは、東区の箱崎にある。海の玄関口『博多港』には毎日国内外から様々なものがやってくる。船で運ばれたコンテナの一部はいったんこの場に集まり、それからトラックや列車で様々な場所へと運ばれていく。ここでは、様々な種類、カラフルな色のコンテナが立体パズルのように積み上げられ、毎日ここの全体像を変えている。緑色のコンテナが目立つ日、水色のコンテナが目立つ日、コンテナが運ばれてなくなる日、そして新種のコンテナが現れる日など日によって少しずつ姿を変えている。

ここでの状況は街の中の様子とよく似ている。街の中では『あっ、ここのお店かわった』とか『あのお店なくなったんだ』とか『新しい建物が建った』というようなことが常に起きている。あちこちで少しずつ変化しているため、街の全体像は日々変わっている。

この場所を通るときに、ハイスピードでかわる街を上から見ているような気になる。小さな都市がここにあるかのように日々街の中と同じ様な変化をしている所である。また、なぜかここの辺りは同じ形をしたものがいくつも並んでいる。しかも同じ向きで。マンション、団地、そしてコンテナ。戸建て住宅の団地のようにコンテナは並んでいる。すっきり並んでいるそれらは美しい。都市計画された地域のようにきっちりと並んでいるものを見るのは清々しいものである。

ここは、小さなものが少しずつ変化していき全体像を変えていくことに気付かされるスポットであった。ピンポイントで街を見ていくことと同時に都市の全体像も意識していく、常にズームを調節しながら都市と向き合おうと思える日になった。

上空GL


都市の屋上は街を見下ろせるという気持ちよい感覚があるのだろう。これは天神イムズの屋上テラスから眺めた風景である。ここは11時〜21時まで解放している『イムズテラス』という場所で、エレベーターで14階まで上り、そこからさらに階段を上ると辿り着く。屋上の空間の一部に屋根がかかっておりイスとテーブルが設けてある。あまり知られていない天神の休憩スポットのひとつである。

ここからは青空はもちろん博多湾まで見渡せ、周囲より高いビルであるため他のビルの屋上も観ることができる。特にこの時期になるとビアガーデンを屋上で開いているビルもあり屋上が賑やかになる時だ。街の中では一番空に近い屋上で、風を感じながらビールを飲むことが出来る贅沢な時間がもてる。

福岡の街はほぼビルの高さが同じという特徴があるので、屋上の高さが第2のGLとして考えることができると思う。屋上同士をつないでみると、屋上の高さで、そこにはまだまだ未開拓地のもうひとつの天神があった。芝生を敷き詰めて芝生広場として解放しているビルの屋上や夏の間だけビアガーデンを開いているビルの屋上、青空と博多湾を一望できるということが売りのこのイムズの屋上テラス、かつて存在していたデパートの屋上遊園地。あとはまだまだ更地の状態である。街の中の屋上には青空が観れるという魅力と街を見下ろせる魅力を持っている。ただそれだけで、十分な価値があるように思う。屋上は少し贅沢な場所だと思う。その少し贅沢な土地を利用して建物同士を意識的にでもつなぐことができれば、街はますます面白くなりそうな気がする。

屋台の寝床


人がザワザワ動いている昼間、天神の大通りから一歩入った静かな今泉の月極駐車場で他の車に混じってスヤスヤ眠る二台の車がいる。昨夜の営業を終えた屋台がいつもの様にこの月極駐車場に帰ってきているのだ。営業時十人程の客がワイワイお酒を飲んだりラーメンを食べている屋台は、店じまいとともにうまくたたまれコンパクトになり駐車場の枠内にぴったりと収まっている。あのたたまれた屋台の中には客が座っていた椅子までも収まっている。

夕方になるとバイクに乗った屋主や車に乗った屋主が屋台を迎えにくる。屋台をそれぞれのバイクや車に繋ぐと街の中へと散っていく。あちらこちらから集まってきた屋台は、いつもの様に歩行者道路にずらりと並び美味しそうなニオイを漂わせる。夕方から夜中にかけて営業し、博多ラーメン、おでん、チャーハン、やきとりなど様々な種類の屋台が並ぶ。街のあちらこちらでほんわりと湯気が立ち、美味しそうな屋台料理のニオイとお客の笑い声で賑わっている。それにつられてのれんをくぐる人も少なくないだろう。

屋台には『一杯引っかける』という言葉がよく似合う。帰り道にラーメンを引っかけて行く人。お酒を引っかけて行く人。屋台にはどこかへ行く途中の路上で美味しいものが食べられるという魅力があるからだろう。また屋外でアツアツの食べ物が食べられることも魅力だろう。すんなりと人が集まるきっかけとして『屋台』は都市でうまく機能し、また夜の街の風景をつくり出しているひとつである。

コンパクトにまとまっている姿もまた屋台の魅力だ。あのたたまれた屋台からは美味しい料理は想像出来ない。ただ屋根の上の看板だけがお店であることを示している。朝方この月極駐車場に帰ってきた屋台は、日が暮れ始める頃まで屋主が迎えに来るのをじっと待っている。

植木職人 (06/06/29)

学校に行く途中のバスの中から外を眺めていたら、民家の玄関先で植木職人がちょうど手入れをしていました。

植木職人は、ちょこちょこ細かいところを切ってるのにコンモリ丸く、角っと四角によく整えられるもんだと感心します。。。

昔、母の実家の庭にある植木を整えたことがあります。脚立に登りチョキチョキ♪平らになるように♪
なかなか良い感じじゃんと思い脚立を降りて全体を見てみると、ガタガタで。少しずつあちこちを整えてみたものの、どうもピシッと揃わない。。所詮、素人の仕事だと諦めました。

この間、テレビを見ていると『中村俊輔は駐車場でどんなに狭くても一回で駐車してしまう』といったような内容の話をしていました。狭くて駐車にテコズッテいた人がいて、中村俊輔に代わると簡単にとめてしまったというものでした。どうしてそんなに駐車がうまいんですか?と聞いたところ、「上から見ればいいんですよ。そうしたら簡単です」と答えたそうです。グランドでプレーをしている時も中村俊輔は常に上から見ているんだろうということでした。職人です。

植木職人もすぐ近くの枝や葉を切りながらも、少し遠くから全体を見る感覚でやっているんだろうなと思います。目の前が真っすぐ揃っていくことで、イイ感じ♪と思っていたワタシは少しずれていました。そこが素人なんだと思います。

このことは、どんな職業にも当てはまると思います。デザイナーも植木職人と一緒なのかなと思います。。。常に自分の仕事を少し離れたところから見ることがデキル人。職人です。
素人→職人へ。
職人になりたいです。それが今のワタシの目標です。

kego-stage (06/06/26)


池のそばで陽気な音楽を歌っている人がいる。その近くでスケボーをしている少年が技をきめている。走り回る子供達。ある所では踊っている人達がいる。隣の人がランチを食べ始めた。コーヒーを片手に座る場所を探している人がいる。イヌの散歩をしている人。ナンパをする人。さっきまで仲良く話していたカップルが喧嘩を始めてしまった。大量のハト。そのハトにえさをあげる人。ボーっと眺めている人。天神に来たことのある人なら知っているだろう。天神のビル群に囲まれた公園だ。

ここの公園は毎日沢山の人が訪れ、色んなことが繰り広げられている。池を中心に段状になっているため、みんな池に向かって座っている。ここで歌う人や踊る人などは池に背を向け、座って眺めている人達の方を向いている。様々なエンターテーメントが同時進行で行われている。公園のあちらこちらで行われているエンターテーメントを観客としてみている私達もまた誰かに観られているのかもしれない。ここでは、誰もが『警固ステージ』に立っている一員だ。

池に向かって行く程に観られている感が強くなる。池側を通るのは緊張してしまう。見られている感覚が強いためだ。近道をしようとして公園を通るだけでも池側を通る人はステージに登場してしまうのだ。段状になっているということだけでここの場所は劇場となり、買い物や仕事の休憩などで来た街の人はその劇場のステージに立つ人や観客となる。

段状というのは一時人を座らせたり、人を引きつける仕掛けの一つであるとう。天神の中心にある大ステージとしてここは存在しているのであろう。街の中にある階段もまた天神の小ステージとして存在している所があるのかもしれない。

はきものヲぬぐ (06/06/15)

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desu.



『はきものヲぬぐ』ことはキモチイイ。
なにより裸足でいることがココチヨイ。

ひんやりした床。吸着感。トゲトゲ感。ザラザラ感。ふわふわ感。。。

小学生のころ運動会で裸足になったとき。
普段クツを履いて歩いている場所は、クツを脱いだ瞬間‘Dangerous ゾーン’となった。
砂利道を恐る恐る歩いて、大きなトガッタ石をよけて、コンクリートの上に辿り着くとほっとして。
気を緩めると小さな石ころを踏んでしまったり…普段歩かない所を歩いたり…。
いつも気にしてないものが急に主張してきて、ちょっとのキョリが遠く感じてしまう。
『はきものヲぬぐ』だけで、景色が一変した。

街の中を裸足で歩いたらどうなるか想像してみた。
ずっと下だけを見て歩いているだろう。街の中でセカセカして歩いている人達はいなくなり、みんなスローペースになるだろう。アスファルトもすごく熱くて、痛くて歩けない。みんなが変な歩き方になって、しかもまっすぐ歩けなくなるんだろうなと思う。
やがて街の中はキレイになっていく…。普段 家の中は掃除しても街の中の掃除なんてしないのに、掃除を始めちゃうかもしれない。
『はきものヲぬぐ』ってだけで、随分街の見え方が変わってしまう。

街の中をスタスタ歩いて、ダッシュで走っているウチの犬を見てたくましいなと尊敬しました。

シアワセ (06/06/12)

n405
desu.


居心地のいい空間

昨日また恒例のチームwtrの週末会議がありました。チームは3人なので、コンパクトです。4月から進めている楽しいプロジェクトもそろそろ締め切りの日が近づいて来ています。この3人は結構色んなことが言い合えるイイ関係です。会議も毎回充実していて、楽しくてしかたない!とてもバランスのとれたチームだと思っています。ゼミ生の頃からなんとなくこの3人は何でも言い合っていた人達です。
人が集まって何かをするとき、何かしらストレスを感じてしまうと思います。しかしこの3人は遠慮せず言えるので、ポンポン話しが弾みます。今とっても楽しい空間です。=充実した時間です。=フラフープの回転数が同じ人達です。=居心地のいい空間です。

ということで、居心地のいい空間について考えてみました。

最近家に帰っても、お風呂に入って寝るだけの生活をしています。
家の中でワタシに必要なものはキッチンでもテレビでもなく、ベットとお風呂だけ。なんだか卒研の流れを引っ張っているのか、そんな生活になっています。暇な時間さえあればボーッとしてるか寝てるか…。今のワタシの趣味は『寝ること』です。しかも一番快適なスタイルで寝るために、まず帰って靴を脱いだら靴下を脱いで裸足になる。楽ちんな格好に着替えて、出来るだけ軽い格好で寝る。たまには場所を変えてソファで寝てみたり。。。
家ではそんなことだけにこだわることが出来る時間がイイ空間です。

家で作業をしようと思っても、どうも違う。今は寝ることに重点を置いてしまっているので、とても作業をするテンションになれる場所ではありません。逆に学校は作業するにはイイ空間です。チームwtrのイイ空間は3人が集まった場所です。
家に限っていうと家っていうのは色んなことをするには苦しい空間なのかもしれません。1・2個の単語だけで済む様な空間がイイのかもと思います。最小限備えているだけがチョウドイイ。
そんな軽い空間がステキです。

一個の単語だけで済んじゃうこと。
そんな単純なことがシアワセだと思います。
そんなシアワセを探しています。

バーチャルコミュニティ vol.3 +フラフープ (06/05/25)

n405
desu.


ワタシは、wtrがボスのバーチャル設計事務所に就職しています。人数は3人。地味に活動しています。今は2週間に1回の割合で集まって会議をしています。それ以外の時間はmixi上の事務所で日替わりでレポートを書いています。
この間19:00にパソコンの前に集合!ということでmixi上で『第1回 Virtual space conference』が開かれました。約2時間。バーチャル会議はみんな初めてなので探りながら進んでいきました。やっぱりルールが必要で、混乱するので発言は順番で行いました。
書き込みしていくので議事録が残りmixi会議はなかなか優れものでした。また部屋着で寝転びながら会議が出来てしまうトコロとか、ゴハンも食べられるし、トイレにも行けちゃう、音楽も聞けるし、スッピンで気楽に、などというトコロが魅力的でした。そんなスタイルでまじめに会議をしている自分が可笑しかったです。そんなユルい感じがたまらなく心地よかったです。


では先週のキョリ感の話ででてきたフラフープについて。
ワタシの中ではフラフープの円の大きさが他人ととっているキョリだと思って書いていました。tetsuokさんの回転数のコメントがあって、なるほどなと思いました。解釈が違うかもしれませんが、似た者同士集まるといわれるけれど、回転数が近い人たちが集まっているのかと思います。大学で生活していてだんだん付き合う友人が変わっていったのは、それぞれの回転数が変わっていき、その都度同じ回転数の人が集まっていくからだと思います。だんだん回転数の落ちていくひと。回転数があがっていく人。きっと回転数の違う人と長い時間一緒にいたら疲れてしまうんだろうなと思います。でも人は場所によって回転数を変えていると思います。家にいるとき、学校にいるとき、街にいるとき、、、
たまに相手のペースに乗せられちゃうっていうことがあるけれど、回転を狂わされた感じです。

人がフラフープを回してるならば、空間自体にもフラフープが回っている様に思います。落ち着く空間、緊張する空間、ワクワクする空間。街の中にいてもひとそれぞれ空間の捉え方が違います。
ワタシ達は色んな回転数のフラフープ空間を渡り歩いているから、たまにハッとすることがあるのでしょう。お気に入りの帰り道があったり、ちょっといつもは寄り付かない場所に一歩足を踏み入れてみたり。フラフープ空間にも自分のフラフープと波長が合うトコロと合わないトコロがあるみたいです。

そんなことを考えながら今日の帰り道、街を歩いてみたいと思います。。。

バーチャルコミュニティ vol.2 (06/05/19)

n405
desu.


最近、DESIGNING展の手伝いでセンパイが働いているデザイン事務所に出入りしているんですが、みなさんよく働いています。日付がかわることもしばしばあるみたいです。それでも毎日元気にシャキシャキ働いているセンパイは、たくましい限りです。
トモダチの話を聞いていても事務所に初泊まりだとか・・・大変そうです。そんな中トモダチの事務所のみなさん、仕事の合間にちょくちょくmixiをチェックしているようです。


で、今週も引っ張りますmixi。
tetsuokさんのコメントにもあったようにmixiは無責任な人には向いてないかもしれません。『久しぶり』っていうのはありかもしれないですが、今まで生きてた?って心配になります。バーチャルコミュニティの中では、netの線は命の線みたいな・・・。
コミュニケーションをしかけるためにはマイミクシィが書いた日記にコメントをするか、自分から日記を書いていくしかない。そうすることで、コミュニケーションが成り立ちます。でもmixiでは『足あと』を残せるのでコメントを書かなくても、日記を書かなくても気配は残していくことはできます。
音沙汰ない人は、マイミクシィとして手をつないでつながっているのだけれどその線は生きていない様なものです。復活するためには日記を書くかコメントをするか足あとを残すしかないのです。それぞれがキョリを保ちつつコミュニケーションをはかっています。

次に、キョリ感についてmixiでwtrさんと会話したとき思ったことを少しだけ。。。
人は都市の中にいる時キョリ感をもって過ごしていると思います。というか、自然と身につけていると思います。フラフープをしながら歩いているイメージ。
そのフラフープの中に知らない人が入ってくると、ひとはちょっと緊張します。でもある程度時間が過ぎるとその感覚が変化してきます。知り合いになったような感覚。例えば、ライブで隣になった人とか、長時間並んだ列の前後の人とか・・・。何かを話すわけではないのだけれど、知り合いのような感覚に。フラフープに入って来た人を観察しているからでしょう。話し方だったり、動き方だったりを観察してこんな感じの人なんだろなっていう姿を造り上げていくからだと思います。

バーチャルの世界では自分から動かないとフラフープの中には入っていけません。突然の緊張の場面に出くわすことはあまりないと思います。ただ、mixiではマイミクシィの日記の更新やコミュニティのトピックなど頻繁にフラフープに入ってくる状況なので、緊張の場面は多いと思います。なんだか書いていることが無理矢理かもしれないですが、mixiは気配を残すとか気配を感じられる空間であると思っています。
えーっと、整理できてなくてドツボにはまってしまいそうなので、mixiをきわめて出直してきます。では。

バーチャルコミュニティ(06/05/12)

n405
desu

久々に徹夜をして…もう若くないな…と実感しているn405です。
徹夜の朝って独特の気怠さで、チュンチュン♪鳥が鳴きだしてじんわり明るくなってくるといきなり、今までダルダルだった作業スピードがupします。昼になるとまぶたがバッシバッシ重たい。約3ヶ月ぶりに徹夜をすると、卒研に追われていた毎日のことを体が思い出しました。あの毎日はsweet memoryです。。。

卒業して社会人として働いている友人たちとは、時間も合わないため連絡をこまめに取ることはなかなかできません。そんなときmixiが仲間内の間で一気に広まりました。

mixiには基本的な機能として、自分のプロフィールの紹介・日記の公開・mixiユーザー同士のメッセージのやり取り・特定の話題の集まりであるコミュニティへの参加等があります。それぞれが自分のページを持っていて、友人を『マイミクシィ』に追加していくことでどんどん友の輪が広がっていきます。特定の話題の集まりであるコミュニティへ参加すると全然知らない人たちと特定の話題だけで場を共有します。
mixiは一人と手をつなぐと芋づる式に色んな人と手をつなぐというような感じです。みんな何かしら手をつないでいて、バーチャル空間で地味にみんなつながってました。mixiグラフを見ると手をつないでいる様子がビジュアルで見れちゃいます。あの線はリアル。

mixiがブログと違うのは、マイミクシィの日記の更新やコミュニティのトピックの更新が即座に分かるというか分かってしまうことだと思います。また、mixiをみていると大体のみんなの生活スタイルが見えてきます。もちろん日記からの情報っていうのもあるんですが、、、
自分のページを見ていったひとは『足あと』が必ず残ります。いつも深夜に見ている人、昼間に見る人。
生活スタイルが『足あと』によって感じられる。そういう気配によって連絡を取り合わなくても皆の様子が伺えるところがmixiにはまっていくツボだと思います。

今の世界バーチャルの空間で繋がっている、そしてバーチャルの空間で自分の考えを熱く語ってしまえる。
そんな世界私には無縁だと思っていました。そういうネットの世界に一歩踏み出してみると意外と楽しかったというのがオチでした。