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2007 Design

“ソラチ”

ソラチが見え始めた瞬間

次に進む先が見え始めました。

とっても楽しいこと、、、

ちょっと苦しいこと、、、

ソラチの先にはまだまだ色んなことがありそうです。


昨日の夜、公聴会のムービーを見ました。
冷静になると見えてくるもの、渦中にいると気づけないことにハッとしました。
まだ楽しい景色が上にはあるぞ、と。

上の景色にたどり着くには苦しいことが盛りだくさん。
でもその苦しさは決して辛いものではないから、まだまだ行きます。

ボーリングの後の筋肉痛に似た心地よさです。

“cumo”

今泉の空地(ソラチ)−ひとときの遊びの場“cumo”のデザイン−
今泉は福岡の中心である天神・大名などの繁華街と接しており近年では商業店舗や飲食店が増えてきているが、マンションなども多く住宅地としての側面も強い。そして中層マンションと古くからの住人の戸建て住宅が混在する街には至る所に空き地が存在し、その多くがコインパーキングとして機能している。つまり天神の買い物客達のパーキングとしての顔もあるのである。パーキングは街のあちこちに点在しており、駐車場を介して向こうの通りが見えたり建物の裏が見えたりと視線を抜けさせる。点在しているパーキングという空隙が、今泉の一種独特の表情を創り出しているのである。この点在している街の空隙は現状ではパーキングとして機能しているが、後に建物が建つという“待ち”の状態でもある。空隙が無計画に散在する街の景観は、決して好ましいものとは言えない。しかし、繁華街の内にある“今泉の空隙”は一般的な未開拓地の空隙とは違い、とても魅力的である。

そんな今泉で私は生まれ、今泉ならではの遊び方というものを子供ながらに日々発見し楽しみながら育った。当時から子供が思いっきり遊べる遊び場は少なく、(現在よりも多かった)あちこちに空いているだだっ広い駐車場はかっこうの遊び場だった。塀を越えて次の駐車場へ、公道を無視してショートカットできる駐車場は、危険と隣り合わせのちょっとスリルのある遊び場だったのである。

今回の計画はそのパーキングの上空に、ある程度仮設の遊びの場を計画するものである。住んでいる子ども達だけでなく、天神に来る様々な家族に楽しさを提供したい。そして隙間だらけの希有な街の景観の魅力を引き出すことが狙いである。
 

上空に広がる空地(ソラチ)とそのデザイン


今泉の街を鳥瞰的に眺めてみると、アイレベルでの体験とは異質の姿が浮かび上がってくる。グランドレベルの空隙に限らず1層レベル、2層レベル、3層レベル…へと上がるにつれて空隙の様子も次第に変化していく。古い民家の集まった場所のような所では3層レベルになると急に空隙が広がるというようなことも起きてくる。仮に5層レベルの高さまで今泉を水に浸らせてみれば、アイレベルでは認識しづらい空中の空き地はまるで海のようにすべて繋がっていく。その空き地の繋がりを認識できるからこそ、私は今泉の空隙に魅力を感じるのである。

本計画ではこの上空の空き地を「空地(ソラチ)」と呼ぶことにしたい。計画する遊びの場=cumo(cloud of united mobile orchestra)は、今泉の空隙に空地(ソラチ)と接続するためのインターフェイスとしてデザインする。
 

街の余白の形をあぶり出す


計画する遊びの場cumoの平面のシルエットは、上空からの視点における建物の1層から5層レベルの空隙を示すレイヤーを重ね合わせた画像を揺らしながら明度とコントラストを反復調整していくことであぶり出したものである。街はパーキングという最も強い空隙を核としながら漂う雲のように広がる空地(ソラチ)として表現される。

 
余白のデザイン
余白の形をあぶり出すことは今泉の街の隠れた魅力をあぶり出すことにも通じる。普段の生活の中から例を挙げ、余白をあぶり出すことの魅力について考えた。
 書物の内容を記憶したり理解するために、雑誌や教科書などすでにきちんとレイアウトしてある誌面の余白にメモをとる経験は誰にでもあるだろう。その余白に書き込まれたメモ書きは、全体の内容へたどり着くための道しるべである。余白の隙間をぬって書き込む文字、予想以上にに文章が長くなってしまった時のどんどん文字が小さくなっていく様子、元からある文字をよけながら書いていく文字の群のいびつな形は、当初の整然としたレイアウトを反転させ余白を浮かび上がらせてしまうようなところが魅力である。

 
cumo(cloud of united mobile orchestra)
あぶり出された空隙の核はcumoとして実体化される。
上層階へ上ればcumoから遠くの他のcumoが見えるという場面も出てくる。街の人々にとって点在するcumoは空隙全体の断片であり、空地(ソラチ)を知るためのきっかけでもある。パーキングという空隙は空き地から空地(ソラチ)へとシフトする。

cumoはハニカム(honey comb)の連続によってできる。個々のハニカムは「音(散策)」「風(浮遊)」「実(園藝)」「香(記憶)」「光(木漏れ日)」の5つの異なる遊び方を提供する。さらに、それらが重なり合うことによって次々と新しい遊びが創出される。
cumoを通して経験する今泉は、繁華街の内にある空隙というマイナス面の見方を変え、空地(ソラチ)という余白のデザインの可能性を街の魅力として人々に与える。
都市の成長や変化に伴って消えていくであろうcumoは人々にひとときの楽しさをもたらしてくれると信じている。